文武両道に秀でた三郎助は、優れた俳人・歌人(号は木鶏亭)としても知られていました。死を目前にした陣中で詠まれた辞世の句は、後世の人々の胸を強く打ち続けています。
「ほととぎす 我も血を吐く 思ひ哉」
「われもまた 散り果てぬべき 花の枝に つきてとまらぬ 露の玉の緒」
血を吐きながら鳴くホトトギスに自らの激情を重ね、主家への殉節を露の儚さに託した句には、武士としての純粋無垢な覚悟が刻み込まれています。
戦後、函館山麓に建立された「碧血碑(へっきけつひ)」には、土方歳三らと共に中島三郎助・恒太郎・英次郎親子の名が深く刻まれました。「碧血」とは、義のために流した士の血は三年経てば碧玉(へきぎょく=宝石)に変わるという中国の故事に由来します。
三郎助の終焉の地である函館市には、その名にちなんで命名された「中島町」があり、中島三郎助父子最後之地碑が静かに佇んでいます。また、故郷である神奈川県横須賀市浦賀の愛宕山公園には巨大な顕彰碑が建立され、毎年5月には「中島三郎助まつり」が開催されています。2026年の現在においても、函館と横須賀の市民有志による相互交流と追悼行事が途切れることなく続けられています。