東苗字に出会った多くの人が疑問に抱くのが、「あずま」と「ひがし」の呼び分けです。どちらも同じ漢字一文字を用いながら、言葉の成立プロセスと辿ってきた歴史的背景はまったく異なります。
まず「あずま」という言葉は、古代日本語における大和言葉に深く根ざしています。記紀神話において、東征を行った日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が亡き妻・弟橘媛(オトタチバナヒメ)を偲んで発した「吾妻はや(あづまはや)」の嘆息伝説は有名です。古代朝廷のあった畿内(関西)から見て、東方の未開拓地や東国全域を指す地域呼称として「あずま」が定着しました。平安時代から鎌倉時代にかけて、東国の武士団が名乗りを上げた際、本拠地や所領を示す言葉として「あずま」を採用したのが苗字としての大きな源流です。
一方の「ひがし」は、文字通り太陽が昇る方向を指す方位詞「日向かし(ひむかし)」が音変化したものです。西日本を中心に、集落や本家から見て東方に位置する分家や耕作地を指して自然発生的に使われました。平安末期以降、村落社会が発達する過程で、東西南北の方角がそのまま個々の屋号や呼び名となり、明治期に苗字として固定化されました。
全国の「東」の読み方比率を検証すると、西日本(近畿・中国・四国・九州)では「ひがし」が約8割以上を占めるのに対し、東日本(関東・東北)では「あずま」の比率が約7割近くまで逆転します。方角そのものを指して暮らしてきた西日本の共同体文化と、東国武士としての誇りや地名を背負った東日本の歴史が、この読みの違いにくっきりと刻み込まれています。