シャルトル大聖堂が建築史および宗教史において別格の存在とされる背景には、度重なる災禍とそれを乗り越えた信仰のドラマがあります。この地はキリスト教伝来以前の古代ケルト時代から聖なる泉を擁する聖地とされていましたが、歴史上の転換点となったのは876年のことでした。西フランク国王シャルル2世(禿頭王)によって、聖母マリアがキリストを受胎・出産した際に身につけていたとされる「聖母マリアの聖衣(サンクタ・カミシア)」が大聖堂に寄贈されたのです。
以来、シャルトルはヨーロッパ全土から王侯貴族や庶民が押し寄せる聖母信仰の一大巡礼地へと発展しました。しかし1194年、街と大聖堂を猛烈な大火災が襲います。ロマネスク様式の聖堂は大半が灰燼に帰し、町の人々は絶望に打ちひしがれました。ところが、地下礼拝堂に避難していた聖職者たちによって「聖衣が無傷で守られていた」ことが判明すると、人々の絶望は「聖母がより壮麗な聖堂の再建を望んでおられる」という熱狂的な確信へと変わったと記録されています。
この劇的な火災からの再建運動により、わずか約30年という中世としては異例の超ハイペースで現在の壮大なゴシック様式の本体が立ち上げられました。短期間で統一された設計のもとに建設されたからこそ、シャルトル大聖堂は中世建築特有の増改築による乱れがなく、盛期ゴシック建築の完璧なプロポーションを現在に伝えているのです。
西正面に立つ2本の尖塔が左右非対称である点も、訪れる者の目を引きます。向かって右側の重厚でシンプルな「旧鐘塔(ロマネスク様式、高さ約105メートル)」は1194年の火災を生き延びたものですが、左側の華麗な透かし彫りが施された「新鐘塔(フランボワイヤン・ゴシック様式、高さ約115メートル)」は、16世紀初頭の落雷後に再建されたものです。異なる時代の建築美がひとつのファサードで見事に共存している点も、建築史上の奇跡といえます。