当時の所属事務所である研音や、所属レコード会社のワーナーミュージック・ジャパンのバックアップのもと、彼女は楽曲ごとに劇的なセルフプロデュースを仕掛けていった。1982年、ヒット曲『少女A』で一躍スターダムに駆け上がった際の見事なレイヤーカットから、徐々に大人びた重厚なパーマスタイルへと変化。衣装だけでなく髪型までも楽曲の世界観と同化させる手法は、当時の歌謡界に大きな衝撃を与えた。
関係者の証言によると、伝説的ヒット作『DESIRE -情熱』の直前、彼女は自らウィッグやパーマの提案を行い、髪の揺れ動き一つひとつにまで歌唱中の感情を乗せることにこだわっていたという。看板テレビ番組『ザ・ベストテン』や、年末の象徴である『NHK紅白歌合戦』の舞台で見せたダイナミックな髪の立ち上がりとアンニュイな動きは、入念なヘアメイクの計算と彼女自身の類稀なる美意識が生み出した産物だったのだ。