二人が法律婚ではなく事実婚という形をとったこと自体、当時の永田町では異例中の異例であった。旧態依然とした家族観が色濃く残る政治の世界で、野田氏が選択したスタイルは大きな波紋を呼んだ。
野田氏が事実婚にこだわった最大の理由は、自身の「野田」という姓を守ることだった。伝統的な後継者としての立場や政治家としての実績を考慮した際、改姓することは彼女にとって受け入れがたい条件であった。一方の鶴保氏側も自身の姓を変更することに難色を示したため、双方が妥協案として選んだのが籍を入れない事実婚という形態だったのだ。
しかし、この決断は永田町内部からの風当たりを強める結果にもなった。保守派の議員からは冷ややかな視線を送られ、選挙戦や党内動向においても無用な邪推を生む原因となった。私生活の決断がそのまま政治的リスクへと直結する過酷な現実の中で、二人の葛藤は深まっていった。