これほど華麗な政界・皇室人脈を支えてきたのは、他ならぬ麻生家自身の強大な経済基盤です。麻生家の歴史は、幕末から明治初期にかけて福岡県飯塚市で実業家として台頭した麻生太吉(初代)から始まります。
太吉は筑豊炭田の炭鉱開発に着手し、採炭事業を軌道に乗せて「筑豊の炭鉱王」へと上り詰めました。その後、石炭産業にとどまらず、鉄道、銀行、電力へと事業を急拡大させ、一代で九州屈指の地方財閥「麻生財閥」を築き上げます。太吉自身も衆議院議員や貴族院議員を務め、麻生家の政財界進出の礎を作りました。
エネルギー革命によって石炭産業が斜陽化すると、麻生太郎氏の父である麻生太賀吉(麻生セメント会長・元衆議院議員)が素早い事業転換を決断。セメント製造をはじめ、医療事業(飯塚病院の近代化)、教育、建設、情報システム分野へと多角化を進めました。現在、グループ中核を担う株式会社麻生をはじめとする麻生グループは、グループ売上高数千億円規模、従業員数万人を擁する巨大コングロマリットとして九州経済を牽引しています。この揺るぎない地元経済基盤と資金力こそが、麻生太郎氏の政治活動を長期にわたり下支えしてきた原動力です。