釜爺が「愛じゃよ」と断言したとき、千尋とハクの間に流れていた感情は、いわゆる思春期の甘美な「恋愛関係」だったのでしょうか。徳間書店が刊行した当時の公式記録やインタビュー資料、宮崎駿監督の制作発言を紐解くと、そこにはより深く立体的な意図が隠されています。
宮崎監督は『千と千尋の神隠し』の企画意図において、「10歳の少女たちが、現実に直面したときに自らの力で生きる力を呼び覚ます映画」と明言しています。ハクと千尋の関係は、かつて千尋が溺れかけた「琥珀川(コハク川)」の主と幼子という、過去の邂逅に根ざしています。
千尋にとってハクは、未知の世界に放り出された恐怖の中で唯一自分を人間として認識し、名前を忘れないよう守ってくれた存在です。一方でハクにとっても、千尋は湯婆婆の呪縛を解き、失われた本当の名前(ニギハヤミコハクヌシ)を取り戻させてくれる唯一の光でした。二人が結んだ絆は、独占欲や性的引力を基盤とするロマンスではなく、「失われた自己を取り戻すための相互救済」であり、古代的な信託にも似た絆です。
あえて釜爺という無骨な老人に「愛」という直接的な言葉を使わせたのは、理屈や損得勘定で動く油屋の大人たちに対して、「計算を超えた純粋な動機」であることを一瞬で観客に知らしめる演出上の必然性があったからです。