膨大な異体字を持ちながら、全国で第5位(約105万人)という圧倒的な人口規模を誇る「わたなべ」姓。そのすべての源流は、平安時代中期の武将・渡辺綱(わたなべのつな / 953〜1025年)に遡る。
渡辺綱の出自は、第52代嵯峨天皇の皇子であり、『源氏物語』の主人公・光源氏の実在モデルとも称される左大臣・源融(みなもとのとおる)の流れを汲む「嵯峨源氏」である。綱は摂津国西成郡渡辺津(現在の大阪市中央区天満橋・北浜付近、淀川河口の要衝)に本拠を構え、その地名を苗字として名乗ったことが「渡辺」の歴史的発祥とされている。
武勇に優れた渡辺綱は、摂津源氏の祖である源頼光に仕え、「頼光四天王」の筆頭として名を轟かせた。平安の都を震撼させた丹波国大江山の「酒呑童子退治」や、京都の一条戻橋において美女に化けた鬼(茨木童子)の腕を太刀「髭切」で切り落とした伝説は、講談や歌舞伎の演目として後世に語り継がれている。
この渡辺綱の武名にあやかり、「鬼は渡辺一族を恐れて近づかない」という伝承が全国に定着した。現在でも、渡辺・渡邉・渡邊姓の家系では、節分の夜に「福は内」とだけ唱え、「鬼は外」を言わない、あるいは豆まきそのものを行わない風習が各地に色濃く残されている。
その後、綱の子孫は強大な水軍・武装集団である「渡辺党」を形成。淀川の水運統括から瀬戸内海全域へと進出し、源平合戦や南北朝の動乱で水軍戦力として八面六臂の活躍を見せた。瀬戸内沿岸部から九州、さらには東国へと移住を繰り返すなかで、武士のステータスシンボルとして各地に「わたなべ」の血脈が根付いていったのである。