東出昌大に対する世間の視線は、日本の芸能史上でも類を見ないほどダイナミックな変遷を辿りました。騒動直後のSNSやネット掲示板(5ちゃんねる、Yahoo!ニュースコメント欄など)は、道徳的批判と人格否定で埋め尽くされ、再起不能と見られていました。しかし、ABEMAの特番『世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた』や自身のYouTube動画が公開されると、その論調は劇的な変化を見せ始めます。
視聴者が目にしたのは、カメラを意識して取り繕う芸能人の姿ではなく、南米やアフリカの過酷な土地で言葉も通じない現地人とあっという間に打ち解け、泥臭く火を起こし、淡々と肉を焼く並外れた生命力でした。ネット上では「人間として強すぎる」「テレビの枠に収まる器ではなかった」「男としてシンプルにかっこいい」といった声が急増。過ちを犯した過去を否定せず、言い訳もせず、ありのままを晒け出すスタンスが、視聴者の好感を呼ぶ結果となりました。
この現象について、現代のネットコミュニティ特有の「建前への倦怠感」が影響していると分析できます。コンプライアンスや過度な清潔感が求められる現代社会において、社会規範からはみ出しながらも野生の力強さを持って生き抜く東出の姿が、一種のカタルシスとして受容された側面があります。