10代で名声の絶頂を極めた彼女を待ち受けていたのは、過酷な愛の試練でした。1963年、千代子さんは当時阪神タイガースの将来を嘱望されていた投手・鈴木守氏と電撃的に結婚を発表します。国民的人気歌手と若手プロ野球選手という華々しいカップルはメディアを大いに騒がせました。
しかし、この婚姻は最初から暗雲を孕んでいました。当時の昭和歌謡界における女性アイドル・スターの結婚は「商品価値の致命的な低下」と見なされる時代です。双方の事務所や親族、強大な興行関係者からの激しい反発に晒され、千代子さんは多額の違約金や仕事のキャンセルに見舞われました。さらに家庭生活に入っても、夫の現役引退、事業の立ち上げ難航、そして妻が稼ぐ莫大な収入に伴う夫婦間の心理的摩擦など、深い亀裂が深まっていきました。
彼女を最も深く傷つけたのは、肉親や周囲の強い配慮・反対により奪われた「母親になる夢」でした。自ら妊娠したものの、歌唱活動の継続と混乱した家庭環境を理由に諦めざるを得ず、密かに人工妊娠中絶を選択することになります。千代子さんは後に刊行された手記やドキュメンタリー番組の独白で、次のように生々しい痛恨の胸中を明かしています。
「私は生涯で、何ものにも代えがたい大切な我が子の命を自分の意志で守りきれませんでした。その子を供養することが、私の生きる十字架でした」
精神的な孤立と生活観の乖離が決定的となり、結婚生活はわずか5年で破綻。1968年に正式に離婚が成立しました。彼女はその後、生涯再婚することなく、亡き子への贖罪を胸にステージに立ち続けることになります。