漢字騒動や度重なる失言批判に加え、郵政民営化の見直し発言を巡るブレ、さらには高級ホテルのバー通いに対する「庶民感覚の欠如」というバッシングによって、発足当初50%近かった支持率は半年足らずで10%台へと急落しました。
自民党内でも「麻生総裁では衆院選を戦えない」という危機感が募り、いわゆる「麻生降ろし」が公然と吹き荒れました。党幹部や若手議員による署名集めや両院議員総会の開催要求が相次ぎ、党内抗争が泥沼化。2009年7月の東京都議会議員選挙で自民党が惨敗したことを決定打として、麻生首相は衆議院解散(いわゆる「追い込まれ解散」)を決断せざるを得なくなりました。
同年8月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙において、自民党は公示前の300議席から119議席へと歴史的な壊滅的敗北を喫しました。一方の民主党は308議席を獲得して単独過半数を大きく超え、1955年の結党以来続いてきた自民党の一党優位体制が完全に崩壊。「政権交代」という大きなうねりの中で、麻生政権は幕を閉じることとなったのです。