この記念碑的なナンバーの成立には、二人の若き女性クリエイターの運命的な邂逅があった。歌い手である杏里は当時17歳。類まれな透明感と伸びやかなハイトーンボイスを武器に、新たな時代のアイコンとして期待されていた。そこに楽曲提供者として白羽の矢が立ったのが、すでに天才肌のシンガーソングライターとして名を馳せていた尾崎亜美である。
尾崎は杏里の持つ爽やかさの奥底に眠る、切なさと大人びた憂いを見抜いていた。彼女が紡ぎ出したのは、十代の少女が背伸びをして歌うからこそ胸に迫る、洗練された大人の別れ歌だった。この曲をリードトラックとして収録した1978年のデビューアルバム『Apricot Jam』は、名門フォーライフ・レコードからリリースされ、業界内に大きな衝撃を与えることとなる。決して派手なチャートアクションで幕を開けたわけではなかったが、じわじわと口コミで浸透し、やがてスタンダードナンバーとしての地位を確立していった。