昭和40年代から50年代にかけて、全国の地方自治体で整備が進んだ「こどもの国」構想。和寒町でも地域振興と青少年の健全育成を目的に三笠山の麓へ開園し、長年にわたり道北圏のファミリー層に親しまれました。しかし、時代の奔流は小さな町の公営レジャー施設に容赦のない決断を迫ることになります。調査の結果、閉園に至った背景には3つの構造的要因が複合的に絡み合っていました。
第1の要因は、道北エリアにおける急激な少子高齢化とレジャーの多様化です。開園当初は地元和寒町のみならず、近隣の旭川市や士別市、名寄市などからも多くの家族連れが流入していました。しかし、平成に入ると少子化の波が一気に加速。休日の過ごし方も家庭用ゲーム機の普及や大型商業施設、道央圏の大規模テーマパークへとシフトし、地域密着型の小型遊園地は急速に入場者数を減らしていきました。
第2の要因は、老朽化した遊具の維持更新コストと法的な安全基準の壁です。1970年代に設置された遊具は、厳冬期の積雪や激しい寒暖差に晒され続け、年々金属疲労や腐食が進行していました。さらに、全国各地の遊戯施設で発生した事故を契機に、国の安全点検基準や改修義務が大幅に厳格化。遊具を安全に運行し続けるためには数千万円規模の大規模改修や部品の特注が必要となり、維持管理費が跳ね上がりました。
第3の要因は、自治体財政における公営遊園事業の優先順位低下です。人口減少に直面する地方自治体にとって、限られた予算を医療、福祉、インフラ維持へ重点配分することは不可避の命題でした。年間数千人規模にまで落ち込んだ公営遊園地に多額の税金を投入し続けることは行政改革の観点からも難しく、最終的に遊具の運行停止および閉園という苦渋の決断が下されました。