千葉真一のアクションの根底にあったのは、単なる喧嘩殺法ではなく、極限まで磨き抜かれたアスリートの機能美だ。日本体育大学でオリンピックを目指し、器械体操に打ち込んでいた若き日の千葉。だが、跳馬の着地失敗による腰の負傷が、その夢を無情にも断ち切った。しかし、この挫折こそが日本のアクション映画の歴史を塗り替える運命の引き金となる。
1959年、東映の「第6期東映ニューフェイス」にトップの成績で合格。銀幕の世界へ足を踏み入れた千葉は、当時の映画界に蔓延していた「安全第一の殺陣」に強烈な違和感を抱いた。器械体操で培った驚異的な跳躍力、空手道で練り上げた破壊的な拳と蹴り。それらを惜しげもなく注ぎ込んだ千葉の身のこなしは、従来のスター俳優たちとは一線を画す、野性と気品が同居した圧倒的肉体美そのものだった。