現在でこそCMに引く手あまたで好感度ランキングの上位常連となった出川哲朗ですが、彼の若い頃を知る者からすれば、現在の立ち位置は奇跡としか言いようがありません。ここで一度、彼の波乱に満ちた経歴まとめと約40年に及ぶ芸歴を振り返ります。
横浜の老舗海苔問屋「蔦金商店」の次男として裕福な家庭に生まれた出川は、高校卒業後に矢沢永吉への強い憧れから俳優を志しました。当時の青年・出川哲朗はリーゼントに革ジャンをまとい、本気で映画スターを目指していたのです。名門・映画学校に進学した後は、山田洋次監督の名作映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1986年)などにもエキストラや端役として出演を果たしています。
転機となったのは、1990年代初頭に放送された『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』でした。体を張った過酷なチャレンジに対し、恐怖におののきながらも決してNGを出さず、独特の言語感覚(「ヤバいよヤバいよ」「リアルに」)で状況を言語化する才能をビートたけしに見出されたことで、彼の運命はリアクション芸人へと急旋回します。
しかし、その代償は小さくありませんでした。女性誌『an・an』が毎年開催していた読者アンケートにおいて、「嫌いな男ランキング」「抱かれたくない男ランキング」で数年連続の1位を獲得し、殿堂入りを果たしてしまったのです。街を歩けばヤンキーに囲まれ、罵声を浴びせられ、ロケ先では冷たい視線を浴びるという暗黒時代が10年以上も続きました。
風向きが劇的に変わったのは2010年代に入ってからです。『世界の果てまでイッテQ!』における「出川イングリッシュ」や、たどたどしくも物怖じしないコミュニケーションが若い世代に「純粋で可愛らしい」「嘘がない」と再評価され、テレビ東京の冠番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』で日本全国の一般人と触れ合う姿が、かつての悪評を完全に払拭しました。「嫌われ者」から「国民的おじさん」への変貌は、40年間にわたってブレずに同じ芸をやり続けた愚直さの結晶と言えます。