かつてローマ帝国、ビザンツ帝国、そしてオスマン帝国という3大帝国の帝都として1600年近く世界の覇権を握り続けた旧名「コンスタンティノープル(現イスタンブール)」。これほど輝かしい歴史を持つ都市が、なぜ新国家の首都から除外されたのでしょうか。そこには、第一次世界大戦の敗北に伴う生々しい国家解体の危機がありました。
最大の要因は「軍事・防衛上の圧倒的な脆弱性」です。第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国は、英・仏・伊・ギリシャなどの連合国軍によって領土を分割占領されました。海に面し、ボスポラス海峡を挟むイスタンブールは、敵国の軍艦から容易に艦砲射撃の射程に捉えられ、1918年には実際に連合軍の占領下に置かれて機能を麻痺させられたのです。
当時の特番インタビューや歴史記録集でトルコ近代史の研究者たちが指摘するように、「海から容易に攻め落とされる都市に、独立国家の運命を再び預けることはできなかった」という軍事指導部の一致した危機感がありました。敵の海軍力が届かないアナトリア高原の奥深く、四方を険しい山に囲まれたアンカラは、まさに天然の要塞だったのです。
さらに重要だったのが、「旧オスマン帝国の封建体制・腐敗したスルタン官僚機構との完全な決別」です。帝国末期のスルタン(皇帝)は保身のために連合国に屈服し、屈辱的なセーヴル条約に調印しました。新たな民主共和国を創設するにあたり、スルタンとイスラム保守層の影響力が染み付いたイスタンブールを捨て、独立戦争の拠点となった清貧な前線都市アンカラで再出発することこそが、近代化への絶対条件だったのです。