海上挺進戦隊の艇指揮(パイロット)として集められたのは、主に15歳から18歳前後の少年飛行兵出身者や船舶幹部候補生でした。航空機の不足により空へ飛ぶ道を断たれた若者たちが、突如として海上の秘密任務へと配置転換されたのです。
瀬戸内海での極秘猛訓練
主たる訓練基地となったのは、広島県江田島の幸ノ浦や、香川県小豆島の内海湾などでした。訓練生には任務の全貌が伏せられたまま、夜間に全速力で障害物を回避する操艇技術や、暗闇の中で目標艦艇の至近に爆雷を投下する反復訓練が課されました。
操縦桿を少しでも誤れば転覆・激突する危険な訓練であり、訓練中の事故による殉職者も少なからず発生しました。当時の生存者の手記には、「何のためにボートの操縦をしているのか知らされないまま、ただ死線を越える技術だけを叩き込まれた」という生々しい証言が残されています。
奄美大島・加計呂麻島に残る地下秘密基地
訓練を終えた部隊は、本土決戦および南西諸島防衛のため、各地の秘密基地へと極秘裏に配備されました。特に奄美群島の加計呂麻島(鹿児島県瀬戸内町)などには、リアス式海岸の入り江と断崖絶壁を利用した巨大な地下壕が掘削され、マルレの基地(呑之浦など)が設営されました。
昼間は米軍機の偵察を逃れるために洞窟奥深くに舟艇を隠し、夜間のみカモフラージュを解いて待機する日々が続きました。湿気と飢餓、マラリアなどの風土病に苛まれながら、出撃の命を待ち続けた少年兵たちの苦悩は筆舌に尽くしがたいものでした。