山本投手の野球キャリアを紐解く上で、中学時代を過ごした東岡山ボーイズでの日々は極めて重要な意味を持ちます。当時の山本は、投手だけでなく内野手(二塁手や遊撃手)や捕手も器用にこなす「センス抜群の万能型選手」でした。中学3年時には全国大会への出場を果たしていますが、当時から全国メディアを騒がせるような超怪物級の注目株だったわけではありません。
しかし、東岡山ボーイズの首脳陣は、彼の卓越した身体の使い方に早くから着目していました。当時から際立っていたのは、強引な筋力頼みではなく、全身の関節と腱をしなやかに連動させてボールに強烈なスピンを与える能力です。この類まれな天性を潰さず、じっくりと開花させてくれる進路先として浮上したのが、伝統がありながらも個の成長に寄り添う指導体制を整えていた都城高校でした。
多くの有望中学生が地元名門校の看板や甲子園出場の近道に目を奪われがちな中、山本と家族、そして恩師は「高校野球の先にあるプロの世界」をすでに見据えていました。目先の勝利至上主義に染まることなく、高校3年間を成長のための基礎構築期間と位置づけた決断こそが、後の大器晩成を決定づけたといえます。