浄土真宗でやってはいけないこと|清めの塩やご冥福がタブーとされる真相

浄土真宗でやってはいけないこと|清めの塩やご冥福がタブーとされる真相

今注目を集めている 浄土真宗でやってはいけないこと|清めの塩やご冥福がタブーとされる真相について、多角的な視点を整理して公開しています。

葬祭カウンセラーや大手互助会の相談窓口に寄せられるトラブルの中で、年々増加しているのが「追善供養(ついぜんくよう)」を巡る親族間の対立です。知恵袋やSNSなどのコミュニティ上でも、「他宗派の親戚から『追善供養をしないなんて薄情だ』と怒鳴られた」「なぜ初七日や年忌法要で故人の成仏を祈ってくれないのかと責められた」という切実な悩みが散見されます。

追善供養とは、生きている遺族が善行を積み、その功徳を故人に回向(プレゼント)することで、死者の冥福や来世の救いを手助けする儀礼です。しかし浄土真宗では、人間がどれほど善行を積もうとも、凡夫の力で死者を救うことなど不可能であると考えます。救いは100パーセント阿弥陀如来の絶対的な力(他力)によって完結しているため、遺族があとから善行を足し合わせる追善供養は神学的に成立しません。

法要の現場を取材すると、ベテラン住職は次のように語ります。

「門徒の皆様によくお伝えするのは、浄土真宗の法事は『故人を成仏させるための催し』ではなく、『阿弥陀仏への感謝の集い(報恩感謝)』であり、残された私たちが仏法を聞かせていただく『聞法(もんぽう)の場』だということです。ですから、法要を行うこと自体を否定しているのではなく、行う意味と目的が他宗派と180度異なっているのです」

この教義の違いを知らない親戚が参列すると、「なぜ故人の霊を慰める読経をしないのか」という誤解が生じます。実際の葬儀・法要現場では、事前に喪主から親族へ「当家が属する浄土真宗では、故人はすでに仏様として極楽浄土におられますので、冥福を祈る追善ではなく、仏様への報恩感謝として法要を執り行います」と一言添えておくことが、親族間トラブルを未然に防ぐ決定打となっています。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。