天然理心流の実戦性が歴史上最も鮮烈に証明されたのが、元治元年(1864年)6月5日に発生した池田屋事件です。
祇園祭の宵山で賑わう京都において、尊王攘夷派の志士たちが集結していた旅籠・池田屋へ、近藤勇率いるわずか4名(近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助)が先陣を切って突入しました。20名以上の猛者がひしめく現場は、狭い廊下、低い天井、暗闇、そして階段が入り組んだ極限の閉鎖空間でした。
このような空間では、優美に刀を大きく振りかぶる大太刀の技は天井や鴨居に阻まれて役に立ちません。ここで威力を発揮したのが、天然理心流のコンパクトな斬り上げ、突進力を乗せた強烈な突き、そして泥臭い組み打ちでした。
近藤勇が故郷に宛てた手紙(親戚・宮川音五郎宛)には、激闘の生々しい記録が残されています。
「私どもの刀は虎徹でございました故、無事でございました。沖田総司の刀は鋩子(切先)が折れ、永倉新八の刀は折れ、藤堂平助の刀は刃こぼれが甚だしゅうございました」
激しい乱闘の中で、沖田総司は持ち前の鋭い踏み込みから繰り出す必倒の刺突技で敵を瞬く間に制圧し、近藤勇は頑強な体躯と平青眼からの剛撃で敵を圧倒しました。血と脂で刀が切れなくなる過酷な肉弾戦において、相手の頭蓋骨ごと叩き割り、体当たりで敵を薙ぎ倒す天然理心流の稽古体系が、奇跡的な生存と勝利をもたらしたのです。