稽古場で多くの学習者が直面するのが、第2段から第3段へと進むにつれて「自分がどこを向いているのか分からなくなる」という空間識失調に似た現象です。これは32式太極剣初心者つまずく理由の筆頭として挙げられます。24式太極拳の多くが左右への直線的な移動(主に東と西)を基軸に展開するのに対し、規定套路太極剣である32式は、東・西・南・北の「四正(しせい)」に加えて、南東・北西といった「四隅(しぐう)」を巧みに使った斜め45度の軌道が頻出します。
身体の向き(胸の向き)、足先の角度、そして剣先が指す方向がそれぞれ異なる動作が連続するため、脳内のワーキングメモリが飽和状態に陥ります。さらに、剣という約500〜700グラムの重量物が手の先にあることで、無意識に腕だけで剣を操作しようとし、太極拳の根幹である「虚実の分明(左右の体重の乗せ替え)」が疎かになります。足元が定まらないまま上半身をひねるため、身体の基準軸が崩壊し、次の動作への手掛かりを見失ってしまうのが混乱の根本原因です。
この壁を乗り越えるためには、まず「32式太極剣方向の覚え方」を幾何学的に整理する意識が欠かせません。演武を開始する正面を「北」と定めた場合、どの動作で「東」を向き、どこで「南西」へ踏み込むのかという演武ライン(運行路線)を紙に書き出し、床の上に仮想の十字と対角線をイメージしながら足運びを一致させる訓練が、迷子の状態から脱出する最短ルートとなります。