事件の首謀者たちを裁くため、東京陸軍軍法会議が設置されました。この裁判は非公開、一審制、弁護人なしという異例ずくめの暗黒裁判として進められ、関与者たちには極めて過酷な判決が下されました。
1936年7月、首謀者である青年将校ら17名に対し死刑判決が下され、東京・渋谷の陸軍刑務所敷地内(現在の渋谷区役所・NHK放送センター付近)において銃殺刑が執行されました。さらに翌1937年8月には、現場にいなかったものの事件の黒幕・思想的教唆者とみなされた北一輝と西田税の死刑も執行されています(2.26事件関連の死刑処刑者は計19名)。
この事件がもたらしたその後の日本への影響は極めて深刻でした。反乱を起こした皇道派は陸軍内から完全に粛清・一掃され、ライバルを失った統制派(東條英機ら)が陸軍の実権を完全に掌握することになります。
軍部は「軍の意向を無視すれば再びこのようなクーデターが起きる」という脅し文句を政治家に突きつけ、内閣の生殺与奪の権を握る「軍部大臣現役武官制」を復活させました。結果として政党政治は完全に息の根を止められ、軍部の暴走に歯止めをかけられる勢力は消滅。日本は日中戦争の泥沼化、そして太平洋戦争の全面壊滅へと向かう軍国主義の暴走特急へと突き進んでいったのです。