事件の結末は、首謀者たちに対する徹底的な粛清でした。特設軍法会議は非公開、弁護人なし、一審のみで上訴不可という異例の「暗黒裁判」として進められました。
首謀者である青年将校ら17名と、思想的指導者とされた北一輝、西田税の計19名が処刑(銃殺刑)されました。獄中で自決した野中四郎大尉や、直前に自決を図った安藤輝三など、多くの若きエリート将校が命を散らしました。
長年囁かれてきた二・二六事件の黒幕の真相については、皇道派の領袖であった真崎甚三郎大将らが青年将校を背後から煽り、政権奪取を目論んでいたのではないかという疑惑が残りました。しかし、真崎自身は裁判で巧妙に責任を回避し、無罪となっています。
そして、最も重大なのは二・二六事件の結末が日本に与えた影響です。皇道派が壊滅したことで、ライバルがいなくなった統制派が軍の実権を完全に掌握しました。「軍の意向を無視すれば、またいつクーデターが起きるかわからない」という脅しが政界に通用するようになり、軍部大臣現役武官制が復活。軍部の同意なしには内閣を組織できなくなりました。皮肉にも、青年将校たちの命を賭した蜂起は、自分たちが最も憎んでいた軍官僚による軍部独裁体制を完成させ、日本を日中戦争から太平洋戦争という破滅の泥沼へ引きずり込む決定打となったのです。