現在でこそ長期生存や社会復帰が現実的になった多発性骨髄腫ですが、かつては「見つかったときには余命数年」とされる極めて恐ろしい病気でした。過去にこの病によって亡くなった著名人たちの経緯を振り返ると、当時の医療限界と病気の進行速度の激しさが浮き彫りになります。
映画界の巨匠・降旗康男監督は、高齢期に多発性骨髄腫を発症し、長年にわたり病魔と対峙しながら映画づくりに情熱を注ぎ続けました。しかし、当時の治療法では徐々に進行する骨髄機能の低下や免疫力の衰えを完全に抑え込むことが難しく、最終的に合併症によりこの世を去ることとなりました。
昭和から平成初期にかけて亡くなった患者の多くは、骨髄内で異常増殖した形質細胞が造血機能を破壊することによる重篤な感染症や重度の腎不全が直接の死因となっていました。抗がん剤の選択肢が数えるほどしかなく、副作用に身体が耐えられなくなるケースも頻発していたのです。先人たちの尊い犠牲と臨床試験の積み重ねがあったからこそ、現在の分子標的薬を中心とした延命・寛解プロトコルが確立されたという歴史的背景は忘れてはなりません。