荒木一族がことごとく処刑される中、奇跡的に生き延びただしの忘れ形見がいました。当時わずか生後数ヶ月(または2歳)だった乳飲み子の男子です。処刑直前、機転を利かせた乳母が城から脱出させ、石山本願寺の門徒や縁者を頼って京都・近江へと落ち延びました。
この幼子こそが、後に江戸時代初期を代表する絵師として名を馳せる岩佐又兵衛(勝以)です。母方の姓である「岩佐」を名乗り、父・村重が背負った汚名を避けて絵画の道に生きることを選びました。又兵衛が描いた作品群(国宝『洛中洛外図屏風(舟木本)』や重要文化財『山中常盤物語絵巻』など)には、血煙や凄惨な暴力描写、そして深い人間愛が刻まれており、幼少期に母を奪われたトラウマと魂の叫びが反映されていると研究者の間で指摘されています。
一方、逃亡を続けた夫の荒木村重は、信長の死(本能寺の変)によって生き延び、後に豊臣秀吉に茶人として召し抱えられました。「道糞(どうふん)」と自嘲する号を名乗り、茶の湯の世界で侘びの境地を追究して天正14年(1586年)に52歳で生涯を閉じました。又兵衛の子孫は福井藩や江戸幕府の御用絵師として続き、荒木一族の血筋は現代にも脈々と受け継がれています。