当時の音楽シーンを知るファンにとって、長年議論の対象となってきたのが「なぜマドンナはUSAフォー・アフリカに参加していなかったのか」という疑問です。1984年から1985年にかけて、音楽チャートとカルチャーシーンの頂点を競い合っていたのが、シンディ・ローパーとマドンナの2大ポップアイコンでした。
Netflixのドキュメンタリー『ポップスが最高に輝いた夜』のネタバレを含む証言資料や、当時のプロジェクトマネージャーであるケン・クレイガンらの回顧録によって、キャスティングの裏側が明確にされています。女性ポップシンガーのトップランナー枠としてマドンナの名前もリストに挙がっていたものの、制作陣はシンディ・ローパーの唯一無二の歌唱力と声域の広さを最優先し、彼女にオファーを出しました。また、マドンナ側が直後に控えていた初の大規模全米ツアー「The Virgin Tour」のリハーサルで過密スケジュールを極めていたことも要因のひとつですが、音楽的な核としてシンディが選ばれたという側面は無視できません。
さらに、名プロデューサーのクインシー・ジョーンズによるWe Are The Worldパート割り順番の妙が、楽曲の完成度を決定づけました。シンディの前を担当したのは、骨太で抜けの良いハスキーボイスを持つヒューイ・ルイスでした。当初プリンスに用意されていたパートを急遽任されたヒューイが見事なストレートボイスを響かせ、その直後にシンディが圧倒的な高音シャウトで炸裂させます。そして余韻を引くようにキム・カーンズの独特のハスキーなスモーキーボイスへと受け渡す構成は、声質のコントラストを極限まで計算し尽くした奇跡のボーカルリレーでした。