神社の創立は延宝3(1675)年。徳川2代将軍・秀忠の落胤であり、3代将軍・家光を支え4代将軍・家綱の補佐役を務めた保科正之公が、寛文12(1672)年に没した際の遺言に基づき、磐梯山山麓の見祢山(みねやま)に造営されたのが始まりです。
「土津」という社号は、神道家・吉川惟足(よしかわこれたる)から授けられた吉川神道の霊神号「土津霊神」に由来します。創建当時の社殿は日光東照宮に匹敵する壮麗さを誇りましたが、慶応4(1868)年の戊辰戦争の戦火により惜しくも全焼。現在の社殿は明治13(1880)年に旧会津藩士や有志の手によって再建されたものです。
正之公は民政において、日本初の年金制度とも言える「保科正之の社倉制」や、高齢者・幼児福祉政策をいち早く導入したことで知られます。この民を慈しむ姿勢が、現代における「こどもと出世の神様」という信仰の礎となっています。