1988年から1989年にかけて発生した東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件において、加害者本人の異常性のみならず、世間の強い関心を集めたのが宮崎勤の家族構成と旧家が崩壊していく過程でした。当時の宮崎家は、東京都西多摩郡五日市町(現在のあきる野市)において、祖父の代から続く町の名士として知られていました。
同居していた家族は、祖父、祖母、両親、宮崎勤、そして2人の妹を含む7人暮らしでした。父親は地元で印刷会社を経営し、地方紙の創刊にも関わる実力者であり、経済的には極めて裕福な家庭環境にありました。しかし、1989年8月に宮崎勤が別件の強制わいせつ未遂容疑で現行犯逮捕され、連続殺人への関与が明るみに出た瞬間から、一族の日常は跡形もなく消滅します。
逮捕からわずか1か月後の1989年9月、自宅周辺は連日数百人の報道陣と抗議に訪れる群衆で埋め尽くされ、家族は住み慣れた家を密かに脱出せざるを得なくなりました。近隣住民からの冷視、連日の嫌がらせ電話、無言電話の嵐。さらに親族の勤め先や子どもの通学先にまで抗議運動が波及し、一族全員が地域社会から完全に放逐される「一家離散の経緯」を辿ることになったのです。