蘭奢待にまつわる最大の誤解の一つに、「信長が傲慢にも東大寺を威圧し、宝物を力ずくで奪い去った」という俗説があります。大河ドラマや時代小説などのフィクションでは、武力を背景に僧侶たちを屈服させる暴君的な演出が好まれる傾向にありますが、歴史的事実はまったく異なります。
信長公記(太田牛一著)などの同時代史料を精査すると、信長の行動は極めて慎重かつ礼儀を尽くしたものであったことが分かります。信長は正親町天皇に事前に正式な奏請を行い、勅許を得たうえで勅使とともに奈良に入りました。寺社側の面子を潰さないよう、多額の献金と修繕費を寄進し、東大寺の僧侶たちが立ち会う厳粛な儀礼の場で截香を行っています。
さらに、信長が切り取らせたサイズは「一寸四方(約3.8cm角)を二つ」という、11.6kgもある巨大な木塊から見れば極めて節度ある微量なものでした。そのうちの片方は即座に正親町天皇へ献上され、信長の手元に残ったのはわずか1片のみでした。
信長はこの残る1片を、単なる鑑賞物として独占しませんでした。後に功績のあった家臣や盟友へ下賜する「究極の恩賞」として政治的に活用したのです。例えば、三井記念美術館が所蔵する重要文化財の蘭奢待切片は、信長が筆頭側近の村井貞勝を通じて、加賀前田家の重臣である奥村永福(奥村助右衛門)へ下賜された伝来を持つ名品です。武力による略奪ではなく、朝廷の権威を遵守しつつ、配下武将の忠誠心を極限まで引き出すための「至高の外交ツール」として香木を用いた点に、信長の卓抜した統治センスが証明されています。