かつて京浜工業地帯の工場群が黒煙を上げていた時代、求人を頼りに大勢の沖縄出身者が鶴見周辺に集まった。彼らは差別や生活習慣の違いという壁にぶつかりながらも、互いに助け合い、共同体を築き上げた。それが、現在の鶴見沖縄県人会であり、街の至る所に見られる沖縄物産店や食堂の始まりである。
半世紀以上の時を経て、当時の「生活の知恵」は独自の街並みを生み出した。軒先で交わされるウチナーグチ(沖縄方言)混じりの会話や、地元のスーパーに当たり前のように並ぶポーク缶や島豆腐。横浜という日本有数の港町に溶け込んだ沖縄の遺伝子は、どこか異国情緒を漂わせながらも、地域社会の確かな骨組みとなっている。