本作の大きな魅力であり、同時に多くの視聴者が疑問を抱くポイントが、実在のモデル企業である「ファミリア」およびその創業者・坂野惇子(ばんの あつこ)の実話とドラマの乖離です。NHKの朝ドラ特有の脚色によって、現実のビジネス史とは異なる劇的改変が施されています。
実在の坂野惇子は、大手アパレル「レナウン」の創業者である佐々木八十八(ささき やそはち)の三女として、神戸の豪邸で何不自由なく育ちました。ドラマの坂東五十八のモデルとなった八十八は、早くから娘たちに本物の欧米文化や英語、手芸を学ばせ、その審美眼が後の商品開発の礎となります。しかし、決定的な違いが存在します。
第一の違いは、「小野明美」というキャラクターの造形です。実在のファミリア創業メンバーは、坂野惇子、田村江つ子、田村光子、村井ミヨ子の4人の女性たちでした。全員が神戸の上流階級の出身であり、女中と主人の娘というような身分差の葛藤は実話には存在しません。劇中で谷村美月が演じた小野明美は、アメリカ人女性のベビーナース(乳児看護師)として惇子に本場の育児法を教授した「大井マツ」という実在の恩人をベースに、ドラマ制作陣が物語の葛藤と社会的リアリティを深めるために創出したオリジナルブレンドの人物です。貧富の格差や階層の壁を乗り越えて友情を結ぶというドラマティックな構造は、脚本家・渡邉千穂の手による緻密な作劇の産物でした。
第二の違いは、経営現場における「現実の冷徹さ」と「スピード感」です。ドラマでは、すみれたちが家庭の事情や育児の悩みに立ち止まり、夫たちと衝突しながら手探りで歩む姿が強調されました。しかし現実の坂野惇子や夫の坂野通夫(田中紀夫のモデル)の手記によると、戦後のインフレや物資不足の中で見せたビジネス判断は極めてシビアでした。「上流階級の道楽」と揶揄されるのを最も嫌った惇子たちは、銀座の高級百貨店・松坂屋や阪急百貨店への出店交渉において、妥協のない価格設定と品質管理を貫き、徹底的なプロフェッショナリズムを発揮したと記録されています。