ニュージャパン梅田の閉店理由と跡地の現在|世界初カプセルの真実

ニュージャパン梅田の閉店理由と跡地の現在|世界初カプセルの真実

ニュージャパン梅田の閉店理由と跡地の現在|世界初カプセルの真実を徹底追究! 知っておきたい 情報と解説を分かりやすく展開します。

ニュージャパン梅田を語る上で欠かせないのが、世界で初めて実用化されたカプセルホテル「カプセル・イン大阪」の誕生です。1970年の大阪万博で建築界の寵児となった黒川紀章氏が提唱した「メタボリズム(新陳代謝する建築)」思想が、商業施設として具現化した記念碑的モニュメントでした。

高度経済成長期を経てビジネス戦士が激務に追われていた1979年2月1日、ニュージャパン観光の手によってオープンしたカプセルベッドは、わずか2メートル×1メートルの空間にテレビ、ラジオ、照明、空調が凝縮された近未来的な居住ポッドでした。銀座の中銀カプセルタワービルが居住実験であったのに対し、堂山町のカプセルは「終電を逃したサラリーマンが安価に泊まり、サウナで汗を流して英気を養う」という極めて実用的な都市インフラとして定着しました。

施設内部はまさに「男の迷宮」と呼ぶにふさわしい構造でした。地下から上層階にかけて、高温ドライサウナ、ミストサウナ、温水プール、屋上露天風呂、アカスリコーナー、さらにはガウンを着たまま酒や軽食を楽しめる広大なレストラウンジまでを一体化。昭和から平成にかけて、大阪の夜を遊ぶ人々や出張族にとって、ここは単なる宿泊所を超えた都市のセーフティネットであり、文化の発信地として機能していました。

中川 明日香
著者

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。