杉浦日向子が下咽頭癌の診断を受けたのは2003年秋のことだった。異変に気づいたときにはすでに病状が進んでいたが、彼女は取り乱すことなく、自らの運命を静かに受け止めたという。過酷な治療や手術を経ても、周囲に対して愚痴をこぼすことは一切なかった。江戸っ子の美学である「痩せ我慢」と「軽み」を、自らの生き様を通して体現していたかのようだった。
闘病の事実を大々的に公表せず、ごく親しい関係者だけに支えられながら過ごした最期の時間。彼女が愛した江戸の庶民たちは、生死を大仰に騒ぎ立てず「ふらりと旅に出る」ようにこの世を去っていった。杉浦日向子の引き際もまた、そうした江戸の死生観そのままに、風が吹き抜けるような潔さに満ちていた。亡くなる直前まで執筆や表現への好奇心を失わなかった彼女の姿勢は、今も関係者の間で語り草となっている。