安中市の歴史的アイデンティティは、中山道の宿場町と安中藩の城下町という二重の顔から成り立つ。江戸時代、中山道を往来する旅人は必ず安中宿で足を止めた。それがいかに重要な地点だったかは、1975年撮影の空中写真(国土交通省 国土画像情報)を見ると、中心市街地が中山道に沿って帯状に発展した旧宿場の都市構造をそのまま継承しているのがわかる。
碓氷峠は、信州と関東を隔てる地理的・文化的境界線だった。古代には東山道の駅路が、近世には中山道が通り、明治には日本初のアプト式(ラック式)鉄道が敷設された。エメラルド色のレンガ造りで名高い碓氷第三橋梁(通称めがね橋)は、1893年の竣工から130年以上が経過した現在も現役の国指定重要文化財だ。
そして碓氷製糸工場跡である。富岡製糸場が有名すぎる陰で見落とされがちだが、安中市域内にも明治・大正期の製糸業遺構が分布しており、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録(2014年)はこれらの脈絡の中に安中市を位置づける契機となった。文化庁・群馬県の調査では、遺産バッファゾーンの整備状況が2026年にかけて段階的に進んでいることが公式発表資料に示されている。完全な世界遺産コンポーネントとしての顕著な普遍的価値(OUV)確立を目指す動きは、今後の観光振興における最大の切り札になり得る。
また安中市は新島襄(同志社大学創立者)の出身地でもある。幕末に国禁を破って密出国し、アメリカでキリスト教を学んで帰国した新島の生家は安中市内に保存されており、毎年多くの学術関係者・キリスト教関係者が訪れる。「歴史が重層的すぎる街」というのが、安中市を深掘りした際に感じる正直な印象だ。