北加賀屋千島ビル 歴史は、高度経済成長期の熱気が色濃く残る1974年に幕を開けた。当時、名村造船所をはじめとする造船・鉄鋼関連産業で沸き立っていた住之江の地に、地域のビジネス中枢ビルとして誕生。その後、造船所の移転とともに産業構造が変化するなかで、ビルを所有する千島土地自身が舵を切ったのが「文化芸術による都市の再生」であった。
千島土地 アート支援の哲学は、単なるメセナ(企業の文化擁護活動)にとどまらない。アーティストに制作スタジオや展示スペースを低廉な賃料で提供し、彼らの創造活動が街の賑わいを生み、結果として不動産価値と地域全体の魅力が向上するという持続可能な循環モデルを構築した。
現在の北加賀屋千島ビル テナント構成を見ると、地域を支える一般企業や士業事務所、医療・サービス系テナントに加え、千島土地関連の事業拠点、さらには周辺のアートプロジェクトと連携するクリエイティブ関連組織が入居。ビル自体が「地域経済の安定基盤」と「文化発信のインキュベーター」という二面性を持つ独自のコミュニティとして機能している。