玉造稲荷神社を語る上で欠かせないのが、戦国乱世を象徴する豊臣家との深いゆかりです。社の歴史と経緯を辿ると、創祀は紀元前12年(垂仁天皇の時代)にまで遡り、古代の勾玉職人集団「玉作部(たまつくりべ)」の居住地として発展しました。
慶長8年(1603年)、豊臣秀頼によって本殿が再建され、大坂城の鎮守社として篤い崇敬を受けました。境内の一角に厳かに佇む「胞衣塚大明神(えなづかだいみょうじん)」は、秀頼公の胞衣(胎盤・へその緒)が埋められた聖域です。母である淀殿との生命の繋がりを現在に伝える場所であり、これが転じて現代では夫婦和合や子宝・安産を祈願する強力なパワースポットとして高い評判を獲得しています。
また、境内には秀頼公が奉納した石鳥居が残されていますが、1995年の阪神・淡路大震災によって一部が破損し、現在は安全な形で地上に保存・展示されています。数々の兵火や震災を乗り越えてなお残り続ける石構造物の存在感は、逆境を打破する粘り強い生命力を物語っています。