楽曲のクライマックスで放たれる「誰かに盗られる くらいなら あなたを殺していいですか」というフレーズは、発表当時レコード会社の制作会議でも「過激すぎる」「公共の電波で流す歌として問題視されるのではないか」と猛反発を受けました。女性歌手が「殺す」という言葉を直接口にすることに対する拒絶反応は、昭和末期の歌謡界において極めて強いものがありました。
それでも吉岡治はこの一行を頑として削りませんでした。「この一言がなければ、この歌はただの観光ご当地ソングに成り下がってしまう。女が自分の命を削り、相手の命を奪ってでも一つになりたいと願う究極の独占欲を描いてこそ、石川さゆりの新しい地平が開ける」と主張し続けたのです。
心理学および精神分析の観点からこの歌詞を解釈すると、ここには愛着理論における極端な不安型愛着と、精神病理学的な心理的バウンダリー(自他境界)の融解が鮮明に現れています。「他人に奪われる」という強烈な見捨てられ不安が、相手を他者として尊重する境界線を破壊し、「殺すことで永遠に自分のものにする」という原始的で破滅的な一体化願望へと変貌を遂げています。
単なる暴力衝動ではなく、相手の肉体を消滅させてでも霊的に独占したいという心理は、近松門左衛門の世話物や心中立てに通じる日本固有の死生観・情念の構造です。「山が燃える」というサビの自然描写は、女性の胎内から湧き上がる性衝動と激情のメタファーであり、言葉の暴力性を神聖な美へと昇華させています。