専売特許とは?高橋是清が生んだ歴史と十八番との違いを徹底解剖

専売特許とは?高橋是清が生んだ歴史と十八番との違いを徹底解剖

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日常会話で何気なく交わされる「専売特許」というフレーズは、創作されたことわざや単なるスラングではなく、かつて国家の公式な法律用語として制定されていた歴史的事実に基づいています。

江戸幕府が崩壊し、明治新政府が近代国家への脱皮を急いでいた1870年代から1880年代にかけて、日本には発明者の権利を守る実効性のある法制度が整っていませんでした。1871年(明治4年)に制定された「専売略規則」はわずか1年余りで運用停止に追い込まれ、長らく模倣や盗作が野放しにされる状態が続いたのです。この危機的な状況を打破すべく立ち上がったのが、後に首相や蔵相を歴任し「ダルマ宰相」としても知られる高橋是清でした。

農商務省の官僚として知的財産制度の創設に奔走した高橋是清は、欧米各国の特許制度を徹底的に調査・研究し、1885年(明治18年)4月18日に太政官布告第7号として「専売特許条例」を公布させました。この条例によって日本で初めて体系的な発明保護制度が誕生し、高橋是清自身が初代の特許局長に就任しています。ちなみに、日本の記念日である「発明の日(4月18日)」は、この専売特許条例の公布日に由来しています。

当時の「専売特許」とは、新規性のある発明を成し遂げた者に対し、国家が一定期間、その技術を用いた製品の製造・販売を独占的に許可する権利そのものを意味していました。第1号の専売特許として登録されたのは、堀田瑞松が考案した「錆止め塗料及びその塗法」であり、これ以降、日本の産業界に「発明を独占する強力な権利」という概念が深く浸透していったのです。

その後、1899年(明治32年)の条約改正や国際的基準への適応に伴い、法律の名称は「特許法」へと改められ、公的制度としての「専売特許」という名称は姿を消しました。しかし、「ある者だけが独占的に行える特別な権利」という強烈なインパクトは民衆の記憶に深く刻まれ、やがて「その人だけの独壇場」「他人が真似できない独自の技や特徴」を表す比喩的な慣用表現として、現代に至るまで生き残り続けています。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。