月亭八方の落語家人生は、戦後の上方落語復興期に強烈なインパクトを残した伝説の奇才・月亭可朝への弟子入りから始まりました。1968年、高校卒業後に信用金庫へ勤務していた八方は、可朝の型破りな芸風に魅せられて入門を志願。「一番弟子」として月亭の看板を背負うことになります。
当時の可朝といえば、『嘆きのボイン』の大ヒットや参議院議員選挙への出馬など、規格外のエピソードに事欠かない破天荒な師匠でした。八方はそんな師匠の身の回りの世話や破天荒な行動に振り回されながらも、落語の基礎と独自の処世術を体得。師匠への愚痴や楽屋裏のハプニングをネタにした「楽屋落ちトーク」は、後に八方の代名詞となる芸風へと昇華していきました。
師匠・可朝が2018年に逝去した際も、八方は深い感謝と敬意を込めてその功績を称え、月亭一門の総帥として伝統の亭号を次世代へと繋ぐ重責を果たしています。