スポットライトを浴びて世界の頂点に立ったはるな愛ですが、その歩みは決して順風満帆なものではありませんでした。本名・大西賢示(おおにし けんじ)として大阪市に生まれた彼女は、幼少期から自身の身体の性と心の性の不一致に深く苦悩し続けました。昭和の時代背景もあり、家庭内や学校生活において自身のアイデンティティを受け入れてもらうことは極めて困難を極めました。
当時のインタビューや自著・手記において彼女は、「幼い頃からかわいいものが大好きで、母の化粧品やスカートに惹かれていたが、厳格な父親からは厳しく叱責され、男らしく生きることを強要された」と告白しています。家庭内での軋轢や激しいいじめを経験しながらも、自己の尊厳を守るために10代半ばから夜の街へ飛び込み、ニューハーフパブでの下積みを開始しました。
過酷な労働環境と夜の世界の厳しさに耐えながら、ホルモン治療や幾度とない性別適合手術を重ね、文字通り自らの手で「女性としての自分」を彫り刻んでいきました。芸能界の門を叩いてからも、長い下積み時代が続きます。ものまね番組での地道な活動や、バラエティ番組『うたばん』などでのチャンスを泥臭く掴み取り、やがて彼女の天真爛漫なキャラクターと確固たる芸人魂はお茶の間に浸透していきました。「大西賢示」という過去の傷跡を自虐や笑いに変えつつ、決して下品に堕落させないプロフェッショナリズムは、この過酷な生い立ちの中で培われた人間的強度に他なりません。