なぜ同じ魚でありながら、これほどまでに東西で呼び名が分岐したのでしょうか。その背景には、日本の歴史における身分制度と、地域ごとの流通・食文化の発展過程があります。
武士の「元服・改名文化」と出世魚の誕生
そもそも「出世魚」という概念は、武家社会の慣習に深く根ざしています。江戸時代までの武士や貴族階級の男子は、幼少期には「幼名(牛若丸、竹千代など)」で呼ばれ、15歳前後に達して元服(成人式)を迎えると「烏帽子名(本名)」へと改名しました。さらに官位の上昇や功績に応じて名前を改める風習が存在したのです。
成長するにつれて姿形を変え、呼び名が段階的に格上げされていくブリやスズキ、ボラなどの魚は、この武士の立身出世の姿と重ね合わされ、「出世魚=縁起が良い魚」として武家を中心に重宝されるようになりました。
東西で呼び名が分かれた食文化と交易ルートの差異
呼び名そのものが地域で分裂した最大の理由は、江戸時代における「上方(関西)」と「江戸(関東)」の独立した経済・流通圏にあります。
西日本沿岸では、瀬戸内海や九州・四国近海を回遊する当歳魚〜2歳魚が古くから豊富に水揚げされていました。関西の商人や漁師は、手頃な小型魚を「ツバス」「ハマチ」と呼び分けて日常の惣菜魚として親しんできました。
一方、東日本の江戸前市場では、相模湾や房総半島近海で獲れる青物を、江戸独自の言葉遣いや魚河岸の符丁によって「ワカシ」「イナダ」と名付けました。「イナダ」の語源は、稲の収穫期に群れが押し寄せることから「稲田(いなだ)」に由来するという説が有力です。また、ワラサは「藁座(藁で束ねた形状)」に似ていることから名付けられたと伝えられています。
お正月の縁起物としての東西境界線(東の鮭、西のブリ)
出世魚であるブリは、現代でも正月の「年取り魚(年越しの祝膳に供える魚)」として欠かせない存在です。しかし、日本列島には明確な「東のサケ、西のブリ」という食文化の境界線が存在します。
文化人類学や民俗学の調査によると、新潟県の糸魚川と静岡県の富士川を結ぶ地質構造線(フォッサマグナ付近)を境に、東日本側では「鮭(新巻鮭)」を年取り魚とし、西日本側では「寒ブリ」を年取り魚として祝う文化が定着しています。西日本において、家長の健康や一族の繁栄、子孫の出世を祈願する儀礼食として、ブリが最上位の魚として位置づけられてきた歴史を如実に物語っています。