ルーヴル美術館のドゥノン翼「赤の間」に足を踏み入れると、ドラクロワの代表作『キオス島の虐殺(フランス語題:Scènes des massacres de Scio)』が放つ異様な重圧に圧倒されます。縦419cm、横354cmという破格のスケールで描かれた本作は、従来の歴史画の常識を根底から覆す構図を採用しています。
画面中央をあえて空虚にし、視線を左右二つの絶望的な群像へと引き裂く構成が、鑑賞者に逃げ場のない不安感を与えます。画面左手には力尽きて息絶えた母の胸元で乳を求める赤ん坊、虚ろな眼差しで虚空を見つめる老人、抱き合って運命を待つ若い男女が配置されています。一方、画面右手では、トルコ風の衣装をまとったオスマン帝国の騎兵が、半裸のギリシャ女性を馬に縛り付けて引きずり去ろうとしています。
当時のフランス ロマン派 絵画を牽引したドラクロワは、1824年のサロン(官展)開幕直前、同じ会場に展示されていた英国画家ジョン・コンスタブルの風景画に強烈な衝撃を受け、本作の背景である荒涼とした空や大地を急遽、荒々しい筆致と鮮烈な色彩で塗り直したと記録されています。光と影の激しい明暗対比、絵の具の厚塗り(インパスト)による物質感は、理性を重んじる新古典主義の整然とした輪郭線を拒絶し、「現場の生々しい体温と流血」を告発するために注ぎ込まれました。