国民的な人気を誇る一方で、私生活においては家庭内の深刻な不和が報じられることがありました。特に2000年代以降、妻である信子さまが病気療養(更年期障害や脳虚血など)を理由に長野県軽井沢の別荘や親族邸などで過ごされる時間が増え、事実上の長期別居状態となったことは週刊誌や月刊誌で幾度となく取り上げられました。
報道各社や関係者の証言によると、寛仁親王の几帳面で厳格な性格、そして持病の悪化やアルコール依存による情緒の波が、信子さまにとって大きな精神的負担となっていたとされます。一方で、信子さまが公務を長期間離脱し、寛仁親王の度重なる大手術の看病にも同席しない時期が続いたことに対し、親王や娘たちとの間に深い溝が生まれていきました。
文藝春秋などの手記や報道において、長女・彬子さまは母・信子さまとの関係について率直な思いを吐露されています。母が長く家庭を留守にしたことに対する戸惑いや、父の闘病を妹の瑶子さまと2人で支え続けなければならなかった重責など、母娘の感情のすれ違いは容易に埋まるものではありませんでした。
2012年に寛仁親王が薨去された際も、信子さまは体調不良を理由に喪主を務めることができず、当時30歳であった長女の彬子さまが喪主を務められました。家族というもっとも身近な共同体でありながら、皇族としての立場、周囲の視線、そして病という過酷な現実が絡み合い、互いの感情を複雑に縛り付けてしまった悲劇的な側面は否定できません。