この歴史的名曲が誕生した背景には、過密を極めたツアー生活の中でのひらめきと、卓越したサウンドプロデュースの存在がありました。ボーカルの桜井和寿は、全国ツアー「innocent world」の合間、滞在先の名古屋市内をランニングしている最中にサビのメロディとコード感を突如として着想したと後年のインタビューで述懐しています。部屋に戻るや否やアコースティックギターを手に取り、一気に骨組みを書き上げました。
しかし、原曲がスタジオに持ち込まれた際、プロデューサーの小林武史が下したディレクションは、当時のロックバンドにとって極めて実験的かつ冷徹なものでした。
通常であればバンドの生演奏を軸にグルーヴを構築するところを、小林武史は打ち込みによる無機質なドラムループを基本骨格に据え、そこに壮大なピアノと生のストリングス(弦楽器)を絡ませるアレンジを提案。生粋のバンドサウンドを矜持としていたドラムの鈴木英哉をはじめとするメンバーには当初戸惑いもありましたが、結果として完成したのは、バンドの枠組みを軽々と飛び越える「シンフォニック・ポップの最高到達点」でした。冷徹なビートの上を、体温を持ったストリングスと桜井の生々しいボーカルが滑走するコントラストこそが、楽曲に普遍的な緊張感をもたらしています。