歴史上の偉人ではヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトや劇作家サミュエル・ジョンソンがそうであったと噂されるように、「トゥレット症候群には天才肌や優れた表現者が多い」という言説がネット上で定説のように語られています。この俗説はどこまで真実なのでしょうか。
脳神経科学の視点から見ると、トゥレット症候群の主因は、大脳基底核を中心とする神経回路における神経伝達物質ドーパミンの過剰な活動にあるとされています。ドーパミンは運動の制御だけでなく、意欲、報酬系、学習、そして「ひらめき」に直結する物質です。この受容体が極めて過敏である性質が、結果として以下のような特性を生み出すと指摘されています。
- 過集中(ハイパーフォーカス):興味のある対象に対して常人を遥かに超える没頭を見せ、短時間で膨大なスキルや知識を吸収する。
- 運動エネルギーの昇華:蓄積される衝動的エネルギーを楽器演奏、アスリートの瞬発力、演劇の身体表現へと注ぎ込むことで、規格外のパフォーマンスを発揮する。
- 高い認知柔軟性と反射速度:元米国代表GKのティム・ハワード氏が「ボールがスローモーションに見える瞬間がある」と証言したように、外界の刺激に対する反応速度が極限まで研ぎ澄まされる。
ただし、日本国内の臨床心理士や神経内科医が警鐘を鳴らすように、「トゥレット症候群=天才」と短絡的に結びつけるのは危険な神話です。過剰なエネルギーを表現活動に昇華できる環境を持てるのは一握りであり、現実の多くの当事者は、日常生活においてチックを抑制しようとすることによる激しい肉体疲労や頭痛、筋肉痛に苛まれています。「天才だから素晴らしい」という過度な美化は、当事者が抱える地道な生活上の苦痛を不可視化してしまうリスクを孕んでいます。