順風満帆に見えた阿部寛のキャリアですが、モデルから俳優への転身理由の背後には、残酷な現実が待ち受けていました。モデルとしての人気が頂点を極めるなか、20代半ばを迎えて「いつまでもモデルだけで食べていくことはできない」という強い危機感を抱き、1987年の映画『はいからさんが通る』で本格的な俳優デビューを果たします。
しかし、そこで立ちはだかったのが彼自身の最大の武器であったはずのスタイルでした。当時のテレビドラマや映画界において、189cmという高身長は致命的な障害となったのです。共演する女優や男優と並んだ際に画面のバランスが取れない、背が高すぎてフレームに収まりにくいといった制作側の都合から、キャスティングを敬遠される日々が続きました。
さらに当時の演技力に対する評価は芳しくなく、「突っ立っているだけの置物」「大根役者」とメディアに酷評されることになります。モデル時代の爆発的な人気は急速に冷え込み、仕事は激減していきました。
追い打ちをかけたのが、1990年代初頭のバブル崩壊です。モデル時代の絶頂期に投資用マンションなどの不動産投資を行っていた阿部寛は、資産価値の暴落により数億円とも言われる巨額の借金を背負うことになります。公の場で見せた当時の表情には明らかに翳りが差し、後年のインタビューでも「パチンコで生計を立て、糊口をしのぐ日々が数年間続いた」と赤裸々に告白しています。
仕事を選べる立場ではなくなった彼は、地方のパチンコ店への営業、2時間ドラマの端役、悪役や死体役、果ては再現ドラマの出演に至るまで、泥にまみれながら現場を渡り歩きました。この過酷な下積みと借金時代こそが、後に花開く泥臭い人間味の母体となったのです。