華やかな舞踏会の実態は、当時どのように受け止められていたのでしょうか。国内外の記録を照らし合わせると、鹿鳴館評判と当時の反応には凄まじい温度差が存在していたことが分かります。
お雇い外国人として東京帝国大学医科大学で教鞭を執ったドイツ人医師、エルウィン・フォン・ベルツは自著『ベルツの日記』の中で、過度な西洋化に対して手厳しい言葉を残しています。「日本の女性が、何百年もかけて完成された優美な民族衣装を脱ぎ捨て、不自然なコルセットで身体を締め上げ、ぎこちなく踊る姿は見るに忍びない」と記し、文化的なアイデンティティの喪失を痛烈に危惧しました。また、フランスの海軍士官で作家のピエール・ロティは、短編小説『江戸の舞踏会』において、鹿鳴館を「猿のサーカス」「哀愁を帯びた仮面劇」と皮肉混じりに描写し、欧米知識人のシニカルな視線を浮き彫りにしました。
国内の保守派や民権派からも、「条約改正のための媚態外交」「国家財政の無駄遣い」との激しいバッシングが巻き起こりました。当時のメディアや公的記録から見る、鹿鳴館をめぐる各主体の評価を整理したものが以下の比較データです。