『沈黙の春』が1962年6月に『ニューヨーカー』誌で連載され、9月に単行本として出版されると、米国の化学産業界は前代未聞の総力を挙げたネガティブキャンペーンを展開しました。モンサント社、アメリカン・シアナミド社、ベルシコール社といった巨大農薬メーカーは、莫大なPR予算を投じてカーソンを攻撃しました。
彼女に加えられたレイチェル・カーソンの評価と批判の激しさは、学術論争の域を完全に逸脱していました。「博士号を持たない単なる鳥好きの女性」「独身女性のヒステリー」「共産主義の手先であり、農業生産を破壊してアメリカ人を飢えさせようとしている」といった悪質な人身攻撃が公然と行われたのです。出版社に対しても「名誉毀損で提訴し破滅させる」という脅迫状が送付されました。
しかし、カーソンは一切取り乱すことなく、冷静な科学的態度を貫きました。1963年4月、CBSテレビの特別番組『レイチェル・カーソンの沈黙の春』に出演した彼女は、病身を悟らせない穏やかで知的な語り口で視聴者に訴えかけました。視聴者数は1500万人を超え、世論は一気に彼女の支持へと傾きます。
事態を重く見たジョン・F・ケネディ大統領は、大統領科学諮問委員会(PSAC)に事実関係の調査を命じました。1963年5月に提出された公式報告書は、カーソンの告発内容を全面的に支持し、「農薬の使用実態と危険性に関する連邦政府の監視は極めて不十分である」と結論づけました。権力や利権に屈せず真実を貫いた彼女の態度は、沈黙の春が環境問題に与えた影響の決定打となり、現代に続く環境保護法制の礎を築いたのです。