スペイン語で主食のパンを指す単語は「pan」と綴り、発音も日本語の「パン」とほぼ同一です。なぜ、ユーラシア大陸の東端に位置する日本と、イベリア半島に位置するスペインで、まったく同じ発音の言葉が同じ食品を指しているのでしょうか。
この謎を解く鍵は、古代ローマ帝国の公用語であったラテン語の「panis(パニス)」にあります。ローマ帝国の拡大に伴い、ラテン語はヨーロッパ各地に普及し、やがて各地の方言が発展してスペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語などの「ロマンス諸語」へと枝分かれしていきました。この過程で、ラテン語の「panis」はスペイン語において語尾が脱落して「pan」へと変化しました。
一方、日本における「パン」の受容史を見ると、直接の言語的ルーツはスペイン語ではありません。歴史文献や国語辞典の考証によると、1543年のポルトガル船種子島漂着を契機とする南蛮貿易時代に、ポルトガル人宣教師や商人によって伝来したポルトガル語の「pão(パォン / パン)」が日本語に定着したものが直接の起源です。当時の日本人はポルトガル語の鼻母音「pão」を耳で聞き取り、自らの発音体系に落とし込んで「パン」と表記・発音するようになりました。
つまり、「スペイン語のpan」と「日本語のパン(ポルトガル語pão由来)」は、いわば「ラテン語 panis という同一の祖先から生まれた兄弟のような関係」にあります。両者が酷似しているのは偶然ではなく、イベリア半島の隣国同士であるスペインとポルトガルの言語的近縁性がもたらした歴史的必然といえます。