大本教の原点は、1892年(明治25年)旧正月、京都府綾部で極貧生活を送っていた56歳の未亡人・出口なおに突如として降りた神懸かりに端を発します。なおは、神の命に従い落ちていた釘で柱や壁に文字を刻み始めました。文字の読み書きができなかったはずの彼女が平仮名だけで書き殴った膨大な神示は、後に『大本人道手鏡』『お筆先(おふでさき)』と呼ばれ、全200巻におよぶ教団の根本経典となります。
その内容は、「三千世界 一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世になりたぞよ」という鮮烈な宣言から始まりました。明治維新以降の近代化・資本主義によって富める者が栄え貧しい者が喘ぐ弱肉強食の社会を「獣の世」と痛烈に批判し、神による根底からの変革、すなわち「世の立て替え・立て直し」が迫っていると警告したのです。
しかし、土俗的な民俗信仰にとどまる可能性のあったこの集団を、世界宗教の規模へと押し広げたのが、1898年(明治31年)になおのもとを訪れた上田喜三郎(後の出口王仁三郎)でした。王仁三郎は、なおの五女・すみと結婚して出口家の養子となり、教義の理論化と組織改革を急速に推し進めます。
王仁三郎は、古事記や日本神話、神道霊学を大胆に再解釈し、天照大神以前の根源神である「国常立尊(くにとこたちのみこと)」の復権を主張しました。さらに、全81巻83冊に及ぶ長大な口述記録『霊界物語』をわずか数年で著し、霊界の構造から宇宙観、人類救済のビジョンを神話的・壮大なスペクタクルとして描き出しました。厳格な禁欲と終末論を説くなおの「厳の御霊(いづのみたま)」と、現世肯定的で芸術・ユーモアを重んじる王仁三郎の「瑞の御霊(みづのみたま)」という、対照的な二つの車輪が合致したことで、知識人から軍人、農民、職人に至るあらゆる階層を惹きつける爆発的な求心力が形成されたのです。